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写真は村の作業所で朝の献立を書いているところです。農作業が忙しくなると、農家の奥さん方はご飯の準備もできなくなります。そこで、他産業の娘さん(医者、旅館、肥料家など)を村で雇い、ご飯の準備をしてもらいました。毎朝、担当の人がご飯の注文をとり、作業所まで各家庭の人がご飯を取りにくるシステムでした。清は宮沢賢治に傾倒していたようで、共同作業、共同生活を目指し、実行していたようです。また、たいへんな読書家で、歴史小説から現代文学まで幅広く読んでいたようです。 |
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黒田家の3代目、黒田清の時代になると、干し柿が盛んに作られ始めました。蔵の南側にハセをつくり、皮を剥いた柿を干します。しかし、雨が続くと腐って落果し、苦労したそうです。 |
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