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3代目清の子供は、女の子ばかりでした。そのため、長女の雅子が婿を迎えました。その婿が4代目の四朗です。四朗はもともと中学校の教員でした。そのため、婿に来てから、農作業に慣れるまでしばらく時間がかかったそうです。写真は、杉林の下刈りを行っているところです。一番右の長身の男性が四朗です。 |
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清が作業所で共同作業・共同生活を行っていたことが認められ、当時の農林省のようなところから優れた農業者に与えられる賞をいただくことになりました。その授賞式で、新聞記者をしていた赤岸氏(一番中央の男性)と出会い、交流を深めることになりました。その後、第2次世界大戦がはじまり、東京大空襲で東京が焼け野原になった際に、食料に困窮した赤岸氏2家族を清と貞次郎が疎開民として受け入れることになりました。赤岸さんたちはうちの蔵で半年〜1年ほど暮らしたそうです。その後、後ろに写っている男の青年たちは、東京に戻られて暮らしていますが、今でもうちの果物をたくさん買ってくれ、宣伝していただいております。 |
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